Turkish Pottery, 2016

Turkish Pottery, 2016

2010/10/19

大島


瀬戸内国際芸術祭では10日間くらいこえび隊でボランティアをしたけれど、一番多く関わった島は、大島だった。

島全体が国立のハンセン病療養所で、1996年まで国によって間違った隔離政策がとられていた大島。今では治療終えた約100人の方たちが、リハビリや高齢によるケアを受けながら暮らしている。平均年齢80歳。島の記憶は、時間の経過と共に消えようとしている。

ここで、私が大島で教えてもらったことを書いておきたい。


ハンセン病は、治療が遅れると手足や目といった末梢神経に重い後遺症を残す感染症。その見た目から、差別をされ国によって強制的に隔離されていたという歴史がある。
ただ、その感染力は風邪よりもはるかに弱く、今では薬で治せる病気になった。去年のデータでは日本人で発症した人は0人だったというくらいだ。
療養所の環境だが、入所者の数が一番多い時には24畳の大部屋に10~12人が一度に住んでいたそうだ。今は夫婦や個人の部屋があるが、以前は夫婦で住むこともできなかった。
誤った政策もあった。ハンセン病は母子感染しないのだが、患者が妊娠したら強制的に堕胎させられ子供を残すことが出来なかったそうだ。
そして、この療養所「青松園」には火葬場と納骨堂がある。家族と縁を切って来た人も多く、子供もいないことがほとんどなので、亡くなると島で火葬・埋葬される。



大島が一般の方にここまでOPENになったのは、今回の芸術祭が初めてだそうで、芸術祭期間中は毎日たくさんの人が島にやってきて、大島とハンセン病の歴史について熱心に話を聴いてくれている。高松から来たお客さんで「こんな近くに住んでいるのに、差別の歴史・どんな病気なのかなど、初めて知ることばかりです。」と言う方もいた。

ニュースや新聞で名前を聞くだけで、よく知らなかったハンセン病の歴史。
案内を任された私自身も知識は少しずつだけれど、入所者のおっちゃんたちに出会って大島の「今」を感じる。
こえびのみんなにアイスやゆで卵を持ってきてくれるおっちゃんや、「あんた、べっぴんさんやな~」と女の子をナンパしているおっちゃん、ツアーの人たちが来る時間に合わせて毎日顔を出してくれるおっちゃんなど。毎度毎度、とても楽しかった。

アートをきっかけに、開かれる扉がある。