旅も終盤、カサブランカに向けて出発。フェズからは列車で4時間ぐらいなので、ここぞとばかりに本を読む。日本から持ってきた5冊の文庫本のうち、すでに4冊は読み終わっていて、帰りの飛行機で映画を堪能するためにも、モロッコにいるうちに最後の1冊を読んでしまおうと思っていた。
限られた荷物ながら、どの本を持っていこう?と相当悩んだんだのだけれど、澁澤幸子さんの旅行記は旅の気分にピッタリだった。行きの飛行機で一気に旅モードになって、一人旅をする勇気とパワーがチャージされた気がする。それから江國香織さんの短編は、ホテルの部屋であっという間に読み終わった。さらっと読めるような短編も旅先ではいいかも。
そう!持ってきてよかった物といえば「アロマキャンドル」。暗くなってから一人ではあまり出歩けないので、夜はホテルで本を読んだりして過ごすのですが。知らない土地にいるときって案外気が張っているもので、ベースキャンプであるホテルの部屋にいつもの匂いがするというのは、思っていた以上に癒されました^^ アロマキャンドル、激しくおススメ。
さて、話はカサブランカに向かう列車に戻ります。
列車がメクネス駅に停車して、私がいるコンパートメントに男の子が乗ってきて向かいの席に座る。私、本を読む。彼も本を取り出して読む。目があって少し話すと、彼はセネガル人で名前はバッケ、メクネスの防衛大学に留学中なんだという。「セネガル人って、初めて会った!」「ほんと?Akonって知ってる?セネガル人なんだよ。」「あ、そうだね。知ってる知ってるー!」みたいな話をする。
ふと彼の手元にある本に目をやると、『Vol de nuit』と書いてある。フランス語なのに、どっかで見たことある綴りだなぁ・・・と、しばらく考える。Nuit・・・nuit・・・夜・・・。
さて。その答えは私が持っていた本の表紙にあった。
じゃーーん。
なんと、彼が読んでいたのは、まさに私が読んでいたサン・テグジュペリの『夜間飛行』だった!たまたま同じ車両に乗っていたセネガル人と日本人が、偶然にも同じ本を読んでいるなんて!!!「サン・テグジュペリ、すげー!!」とお互いびっくり。(笑) なんでその本読んでるの?と聞くと、「中学生ぐらいの頃読んだ本だけど、どんな話だか忘れちゃってもう一回読もうと思って。」と彼。「これは、なにかの縁だ!」と思って、連絡先を交換。バッケとは、終点のカサブランカ駅でバイバイし、帰国してからfacebookでつながりました。
サン・テグジュペリのお蔭で、セネガル人の友達ができるなんて。この旅に一番持ってきてよかったものは、この本かも。
Turkish Pottery, 2016
2011/02/26
Fes, a handcraft city
マラケシュと並んで世界遺産に指定されている都市:フェズは、ハンドクラフトの町。メディナの路地に並ぶ扉を開ければ、真鍮細工、陶磁器、織物、革製品などのさまざまな工房を見つけることができる。最近では、古い邸宅を買い取って改装し、高級リヤド(ホテル)にしたり別荘にしたりする外国人が多く、実はインターナショナルな街なんだと、ユネスコで働く建築家の人が言っていた。
迷路のようなスークは、マラケシュよりも複雑に思える。店が並ぶ通りも楽しいけれど、人が住んでいるエリアの細い通りを探検するのも面白い。道端で子供たちがサッカーをして遊んでいたり、半分開いたドアから生活の音が聞こえてくる。
フェズでは、怪しい男の人に声をかけられたり、悪ガキに説教したり、いろんなハプニングがあったけど、奥深く美しい街でした。
2011/02/16
サハラ砂漠
私たちを乗せた車は、平らな大地にのびた一本道を、「翼があったら飛べるんじゃないか」というスピードで走る。ごろごろしていた石が小さくなり、赤かった大地の色がだんだん変化し、遠くに盛り上がった砂漠が見えてくる。アスファルトの道が、道なき道になり、砂煙を上げながらガタゴト走ることどれくらいだったか。モロッコ最果ての町、メルズーガに到着。サンセットの中、ラクダに乗り換えキャンプを目指す。
砂漠って静か。ラクダの足音と私たちの話し声のほかは、風の音くらい。風の気まぐれが作った滑らかな砂の山は美しく、いくつ丘を越えても、ただ砂漠がみえるだけだった。遠い昔、砂漠を渡ってきたキャラバンの人たちは、何十日もこの果てしない景色の中を旅していたんだよなあと、ラクダの上で思う。
夜。サハラに行ったら、今までで一番きれいな星空を見たいと思っていた私。
星降る夜とは、まさに。天の川も流れ星もすぐそこにあって、宇宙に手が届きそうな感じ。となりにいたHibaが言う。「あの星を1個、ポケットに入れて持って帰れたらいいのにね。」
砂漠の地域で天文学が発達したというのは、なるほどそうだろう。アイト・ベン・ハッドゥで、古物商のおじさんが「ベルベルGPSだ。」と星を計るコンパスを見せてくれたのだけど、星を読むことが出来なければ、砂漠を渡ることも出来ないのだ。
夜8時ごろ。砂の地平線から月が昇ってきた。月の出(と言うのだろうか?)を見たのは初めて!知ってた?月ってまぶしいの!黄色い光を放ちながらぐんぐん昇って来ると、今まで見えていた東の空の星が消えて見えなくなってしまった。
「月を恐れて、星がいなくなっちゃったんだよ、トミー!」とHiba。
ほんと、月は圧倒的にパワフルな星。
食事を終えた後は、焚き火を囲んで太鼓をたたいて、みんなで踊った。(笑)
星に見とれて、ミントティーに酔って、アラビアンナイト最高!
2011/02/14
Happy Valentine's day!
2011/02/11
モネとジヴェルニーの画家たち
Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「モネとジヴェルニーの画家たち」を観に行ってきました。
ジヴェルニーは、クロード・モネがあの睡蓮の庭を作り上げ、40年以上にわたり作品の制作を行った田舎の村です。 モネが移り住むと、そこは世界各国の芸術家たちが集う「芸術家村」になったのですが、多かれ少なかれ、みんなモネの影響を受けながら自らの作風を発展させていったんだなーということが分かるのが、今回の企画展です。
モネに習って積み藁を被写体にしてみたり、影の部分に青紫色を使ってみたり。その時間の光や色を映しこんだような、ディテールのぼけた絵も多数。描いた場所も、画風も似たり寄ったりなので、ずらっと並んだ絵を見ていくうちに、ジヴェルニーを散歩しているような気分になります。 ただ、印象派を踏襲する中にも、それぞれの画家の実験の跡や個性があってとても興味深いです。
たとえば、ジョン・レスリー・ブレックという画家は、時間を変えて、同じ構図の積み藁を12枚も描いています。光や色の移り変わりを研究していたんでしょうね。彼はきっと、真面目くんです。
セオドア・アール・バトラーは、ルノワールのようなタッチで人を描きましたが、使った色はお互いが反発しあうようなビビッドな色。彼は、ちょっととんがった性格かもしれません。
アーティスト同士の交流も、さぞ面白かったのだろうと想像しますが、ジヴェルニーはもともと人口300人ほどの田舎。そこに300人以上の画家が押し寄せたというのだから、住人はびっくりですよねぇ。自分の住んでいる村が、いきなり芸術の最先端になってしまって。
畑に刈り取った藁を積んだら、画家がスケッチブックを持ってやってきて、「すばらしい!」と言いながら積み藁の絵を描きはじめるという。
きっと村の若い娘さんなんかは、散々モデルをやらされたんでしょうね。(笑)
中には、「ちゃんと食べなさいよ。」なんて言いながら、貧乏画家にガレットを差し入れしてあげる、気前のいいお母さんがいたかもしれません。絵を見ながら、越後妻有のような光景を想像してしまった^^
今は観光地になっているという、モネが愛したジヴェルニー。
パリから80kmと遠くないので、いつか訪れてみたいなぁ。
花のない生け花
華道家 前野博紀さんの個展に行ってきました。
生け花と思って会場に入って、びっくりしました。
生きているお花が、一本もありません。
「生け花は、インスタレーションになりうる」ということに気づかされた作品でした。
皆さんにもびっくりしてほしいのでこれ以上語りませんが、
見てきた人がいたら、是非語り合いたいです!
今週末、2月13日(日)まで。
華道家 前野博紀個展
~It is a beginning~ 『全ては、花』 Ⅰ・無機物
@ギャラリー ル・ベイン
http://www.kashomaeno.com/
2011/02/10
Sahara excursion
朝7時。この旅のハイライトであるサハラ砂漠に向けて出発!
マラケシュからサハラ砂漠があるメルズーガまでは、陸路で大体600kmくらい。列車や飛行機のないエリアなので、オート・アトラスを越えてカスバ街道を抜ける2泊3日の現地ツアーに参加。途中で渓谷や世界遺産のアイト・ベン・ハッドゥにも寄ってくれて、朝夕食事付き・宿付き・車付き・ラクダ付き(!)で1万円ぐらい。安いぞ!
私が使ったのは「Sahara Expedition」という現地の旅行会社。http://www.saharaexpe.ma/
ツアー中は英語も通じるし、マラケシュから砂漠行きたい方はおすすめです。
現地申し込みでも大丈夫そうでした。参考までに。
ツアー中は、仲良くなったモロッコ人の女の子とずっと一緒だった。
彼女はHiba。首都Rabatに住んでる19歳、ビジネスを勉強している大学生。性格的には、水口円ちゃんっぽい子^^
お父さんと2人で国内を旅行中なんだそうだ。お父さんもBig Daddyって感じで、羨ましくなるくらいステキな親子だった。私が次モロッコに来た時は、Rabatにある彼女の家にホームステイして、お母さんがモロッコ料理を教えてくれる約束になっている。
今回の旅で何人かの人と連絡先を交換したけど、facebookはほんとボーダレスですね! モロッコ人、フィリピン人、セネガル人と、みんな決まって"Do you have a facebook account?"って。 世界中の友達と繋がるSNS。
世界は狭くなったものだ!
マラケシュからサハラ砂漠があるメルズーガまでは、陸路で大体600kmくらい。列車や飛行機のないエリアなので、オート・アトラスを越えてカスバ街道を抜ける2泊3日の現地ツアーに参加。途中で渓谷や世界遺産のアイト・ベン・ハッドゥにも寄ってくれて、朝夕食事付き・宿付き・車付き・ラクダ付き(!)で1万円ぐらい。安いぞ!
私が使ったのは「Sahara Expedition」という現地の旅行会社。http://www.saharaexpe.ma/
ツアー中は英語も通じるし、マラケシュから砂漠行きたい方はおすすめです。
現地申し込みでも大丈夫そうでした。参考までに。
ツアー中は、仲良くなったモロッコ人の女の子とずっと一緒だった。
彼女はHiba。首都Rabatに住んでる19歳、ビジネスを勉強している大学生。性格的には、水口円ちゃんっぽい子^^
お父さんと2人で国内を旅行中なんだそうだ。お父さんもBig Daddyって感じで、羨ましくなるくらいステキな親子だった。私が次モロッコに来た時は、Rabatにある彼女の家にホームステイして、お母さんがモロッコ料理を教えてくれる約束になっている。
今回の旅で何人かの人と連絡先を交換したけど、facebookはほんとボーダレスですね! モロッコ人、フィリピン人、セネガル人と、みんな決まって"Do you have a facebook account?"って。 世界中の友達と繋がるSNS。
世界は狭くなったものだ!
2011/02/07
Beautiful Marrakech
人ごみに流されながら歩いてると、モスクやマドラサ(神学校)を見つけることがある。
気の遠くなるような細かい彫刻やモザイクが、足元から壁、柱、天井、ミナレットにまで施されていて、窓から差し込む光が、カーペットの上に陽だまりを作っている。マラケシュにあるイスラム建築は、何世紀も前に作られたものがほとんどなのだけれど、その歴史は現在進行形。祈りに訪れた人々がその門をくぐり、またそれぞれの場所へ戻っていく日々のあたりまえが、モスクの美しさを守っている。
日が落ちる頃、ただの広場だったジャマ・エル・フナ市場には次々に食べ物の屋台が並び、ストリートパフォーマーたちがそれぞれの楽器を手に集まってくる。次第に市場は熱気の渦になり、深夜まで1日の終わりを楽しむ人たちで賑わう。
私が好きだったのは、なんといっても夜明け前。
静けさを取り戻した街に、アザーンが響き渡る時間。イスラムの国にいることを実感できる瞬間だし、祈りから1日が始まるなんて、すてきじゃないですか。
2011/02/01
A Marrakech boy
列車に揺られること4時間、マラケシュに到着。
まずは、この写真の説明をしないとね。男の子がタジンを前に、こちらにスマイルを送っている件について。
モロッコの都市は、新市街と「メディナ」と呼ばれる城壁で囲われた旧市街で構成されていることが多い。そしてモロッコらしさを味わいたいたいなら、断然メディナに行くべきだ。けれどもこのメディナは、7世紀にアラブ人が侵入してきたときに作られたため、道が細い上に迷路のようにクネクネしている。そんなマラケシュのメディナで、やっぱり迷子になっていた時、私に声をかけてきたのがこの男の子だ。
彼は「アブドゥル」。22歳。マラケシュの大学で英文学を専攻する大学生。あまりに流暢な英語で「そっちには見るところはないよ。どこ行きたいの?」と言ってきたので、ふと足を止めた。道端で数分話しているうちに、「良ければ、僕のバイクで行きたいところを回ってあげるよ。」という。ライセンスを持たないガイドが客引きをしてくることがあるとも、はじめは親切だけど最後に金品を要求してくる「ハスラー」と呼ばれる男性がいるともガイドブックに書いてあったので、「いくら?」と聞いたら、「そんなのお金は要らないよ、海外から来た人と話すのはたのしいから。」という。私はあんまり知らない人を信用するタイプじゃないけど、モロッコ初日で現地の情報が欲しかったし、直感で「彼はいい奴そうだ。」と判断し、「じゃあ、私がランチをおごるってことでいい?」となったわけだ。
確かに、複雑なスーク(市場)をバイクですり抜けられたのは本当に助かった。アブドゥルのおかげで執拗な客引きに捕まることもなく、欲しいものが現地価格で買えたし、夜のジャマ・エル・フナ市場にも出かけられた。彼の通うマラケシュの大学のキャンパス見学まで!(ありがとう。)
それに信じたとおり、彼とはいい友達になれた。
初めてのムスリムの友達なので、疑問に思うことを率直にいろいろ聞いてみたのだけど、アブドゥルが教えてくれた彼らの文化にまつわる話で一番強烈だったのは、やっぱり男女の恋愛の話だ。
「もし彼女が出来て彼女の家に遊びに行っても、2~3時間で帰ってこなきゃいけないんだよ。それ以上いたら彼女のお母さんが僕を出禁にするから。女の子は結婚するとき絶対バージンじゃないといけない。初夜に花嫁は白いトラウザーを履かせられるんだ。翌朝、新郎のお母さんが血が付いてるかどうか調べてにきて、付いてなかったら結婚破棄。そういうこともあって、モロッコでは彼女と付き合うのは大変なんだよ。でもそれは全部、女の子を思ってのことなんだ!」
・・・それでは、ここでアブドゥルのバイクで巡るマラケシュのスークをお楽しみ下さい。
世界の車窓から カサブランカ~マラケシュ
ムハンマド5世空港から列車でマラケシュへ向かう。
モロッコの鉄道は北西部の都市を結んでいて、それ以外の場所への足は主に長距離バスだ。車両には1等と2等があって、1等車はふかふかした座席のコンパートメントで快適。車内販売も回ってくる。
乗り換えのL'oasis駅で、私と同じように一人旅をしている日本人の女性と出会う。お互いすっぴんをサングラスで隠している。(笑) 「地球の歩き方」(これもお揃い)で、旅に必要そうなフランス語「お手洗い」とか「いくらですか?」などを共に学習。彼女は、新しい会社に転職する前の休みを使って、これから1ヶ月間旅するのだという。チュニジアに行く予定が、日本を出国した直後にチュニスの空港が閉鎖されてしまって、急遽行き先を変更しモロッコにきたんだと言っていた。旅行中、新聞やネットなどの情報から遠ざかっていたので、チュニジアやエジプトのことを帰国してから知ってびっくり。同じ北アフリカで、のほほんと旅をしていた私・・・。
名前も聞かないまま、彼女とはマラケシュ駅で別れてしまったけど、ロストバゲージに遭ったという荷物は無事戻ってきただろうか。
それからモロッコでは、ほとんど日本人に会わなかった。
AFC Asian Cup
残念ながら日本戦ではなかったものの、決勝が行われたKhalifa stadiumにて、地元カタールvsクウェート戦を観戦。
スタジアムはカタールサポーターで埋め尽くされていて、普通のスタンド席の9割は男性でした。アジアカップの試合が行われるスタジアムにはファミリー席が設けてあって、そこが実質女性席になっているようです。上の写真だと、ちょうど電光掲示板の下辺り。みんな黒い服を着てるから、スタンドも黒く見える。男性は、白いアラブ服にカタール代表のマフラーというスタイルのサポーターが多かったです。セキュリティーチェックも男女別だったし、「イスラム圏に来たなー」という感じがする。
結果は3-0でカタールが圧勝でした。カタール人は点が入りそうなとき、あぶない!ってとき、ジャッジに納得がいかないときには総立ちになる。(←見えない)そして点が入ったときには、誰が持ってきたのか折り紙サイズの厚紙が舞う。(←当たると痛い)
みんなとにかく熱狂的で、その中にいられたのがとても面白かったです。
街中もアジアカップ一色で、こういう「のぼり」がいたるところにありました。
そんなドーハは今建設ラッシュで、どこもかしこも工事現場だらけ。街がほこりっぽかった。「ワールドカップ開催に向けて、街のシステムも欧米化する予定なんだ。」とタクシーの運転手さん。1年後にきたら、きっと景色もまるで違っているのかもしれないな。
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