Turkish Pottery, 2016

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2016/09/18

村田沙耶香『コンビニ人間』





















皆が不思議がる部分を自分の人生から消去していく。
それが治るということなのかもしれない。
村田沙耶香『コンビニ人間』文藝春秋

 第155回芥川賞受賞作、読みました。

 主人公は、コンビニ店員歴18年の36歳女性。独身。幼い頃から変わった子だった。世間とのズレを自覚してからは「問題を起こすまい」と粛々と生きてきた彼女だが、大学生の時にコンビニでアルバイトを始めたことにより人生が変わる。マニュアル通りのコンビニ店員を演じることで、初めて「世界の正常な部品」になれたという感覚を味わうのだった・・・

 自分自身ちょっと変わった人間だと自覚しているので、主人公が世間一般の「普通」と折り合いをつけようと奮闘する姿に、ヒリヒリするような気持ちになりました。「何か問題でも?」と跳ね返せるぐらいの度胸があればいいけれど、すべてはそう簡単にはいかないもの。私はというと、小学生の頃は「面倒なことにならないように優等生でいよう」と考える子どもでした。大人になってからは、好きな仕事をしていながら、会社勤めをしている友達とのギャップを感じるとモヤモヤします。個性が求められると同時に、一般的な感覚を持ち合わせていることを強く要求されるので、その狭間で混乱することもあります。超カリスマ的な存在でない限り、日本社会の中で「ありのまま」で生きていくなんて、ほぼほぼ不可能だろうと思っています。だからこそ主人公が自分の不和な部分を治そうとしている姿が痛々しく感じられました。ユニークな感覚をもった人たちを生かすことができない社会。「普通」でいるって、なんて難しいことなのだろう。
 
 ネガティヴな感情が渦巻きながらも感じた清々しさ。それは、主人公の見事な仕事ぶりです。

売り場のペットボトルが一つ売れ、代わりに奥にあるペットボトルがローラーで流れてくるカラカラ、という小さい音に顔をあげる。冷えた飲み物を最後にとってレジに向かうお客が多いため、その音に反応して身体が勝手に動くのだ。ミネラルウォーターを手に持った女性客がまだレジに行かずにデザートを物色しているのを確認すると、手元に視線を戻す。(pg3-4)

 没個性的な印象を持たれがちなコンビニ店員という仕事。しかし、それも極めればここまで繊細で無駄のない動作が出来るようになるのかと感嘆しました。マニュアル人間では成し得ないプロの接客。あれだけ多くの業務を滞りなく同時進行できる能力があって、かつ自分の仕事を愛している主人公をかっこいいと思いました。
 
 書評などで「笑った」というコメントをしばしば読むのですが、私は笑いポイントが最後まで分からず。これも世間一般とのズレなのか?とちょっと不安になっています。