Turkish Pottery, 2016

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2016/06/23

金子光晴『マレー蘭印紀行』中公文庫























たとえ、明るくても、軽くても、ときには洗料のように色鮮やかでも、それは嘘である。みんな、嘘である。
–金子光晴『マレー蘭印紀行』中公文庫

読書会 赤メガネの会の開催レポートを担当しました。
こちらにも全文を掲載します。
公式HPもご覧ください。

http://www.akamegane.tokyo


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 そろそろ夏休みの計画を立てる時期ですね。旅先はもうお決まりですか?今回の課題図書は、シンガポール、マレー半島、ジャワ、スマトラと東南アジアを放浪した詩人の紀行文です。旅好きや旅行記好きなメンバーもいる赤メガネの会ですが「ひと癖ある作風に驚いた、戸惑った」という人が多かったようです。

 まずは、時代背景。著者が東南アジアを旅したのはおよそ80年前のことでした。戦争が始まる前の昭和初期に、当時の日本人が東南アジアの様子を伺い知ることができた意義は大きい。祖父が出征していた東南アジアの風景を知ることができた気がする、という人も。当時、外国を旅できる日本人はごくわずかでしたし、映像はおろか写真も満足にない時代に、未知なる異国を伝える作品というのは大変貴重だったと想像します。現代の日本語とは異なる独特の文体に苦労した、音読してみた、というメンバーもいました。

 詩人ならではの自然描写も印象的でした。ねっとりとした風、濁った水、光、鬱蒼としたジャングル、スコールがやってきそうな東南アジアの田舎の空、人の手が入っていない未開の自然、闇への畏怖。画家ポール・ゴーギャンが南洋の島に求めた野蛮の地はこんな場所だったのでしょうか。旅の情景を生々しいまでの鮮やかさで描き出す言葉遣いは圧巻。旅の情報がない時代に読んだら、どんなに想像を掻き立てられたことでしょう。旅先では普段よりも五感が研ぎ澄まされますが、その感覚が疑似体験できる旅行記です。

 美しい日本語に酔いしれながらも、多くのメンバーが感じた違和感。それは旅行記の醍醐味である「人情」がほとんど描かれていないという点です。著者がその場にいるにもかかわらず、語り口に距離がある。鼓動を消す感じが独特。主観というノイズを排した旅行記。ただカメラを長回ししている映像を見ているようだ。人の描写がことごとく暗い。それで結局、奥様とはどうなったの?
 
 ・・・本編のあとの解説を読んで目を見開いたのですが、著者が足掛け5年にも及ぶ海外放浪を決意した理由というのが「奥様の気持ちを取り戻すため」だったのです。当時、三千代夫人には恋人がいました。その三角関係を解消できるのであればと思い立ったものの、旅の中で核心に触れる会話はなかったとのことです。妻との会話がない中で見えた緑、と書かれていたらもう少し感情移入できたのにという意見や、険悪な夫婦の珍道中エピソードが聞きたかったという感想も(笑)。もともと私的な備忘録として書かれた本書。それにもかかわらず夫婦の温度を感じさせないのは、あえてそのように書く理由があったのでしょうか。解説に書かれた旅の事情を知って読んだら、また違う景色が見えてきそうな紀行文でした。でも、せっかく東南アジアを放浪するのなら、夫婦仲良く旅したいものです。